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執筆者の写真Akio Sashima

根岸英一(パーデュー大学特別教授)日本の若者に、競争を与えよ 月刊Voice 2011年1月号




月刊Voice 2011年1月号

根岸英一(パーデュー大学特別教授)

日本の若者に、競争を与えよ


2010年、ノーベル化学賞を受賞された根岸氏。現在、実社会にとって不可欠な「根岸カップリング」は、どのような契機で生まれたのか。長年アメリカで暮らしているからこそ、いまの日本をどう思い、何を直言するのか。どこよりも詳しく、その肉声をお届けする。



毎年、ノーベル賞の発表時期になると「今年こそは」と思う人がいるものだ。2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎氏は、それがもっとも長かっただろう。早朝に電話がかかってきたときは、いたずらだと思ったという。


2010年のノーベル化学賞受賞者である根岸英一氏も、10年以上前からノーベル賞をとる夢をみていた、と述べる。スウェーデン訛りのある英語で選考委員の人が順々に代わって祝辞を述べていく。「3人目の人が私の知っている人で、声を聞いてすぐにわかりました。彼がいうのなら、これはホンモノだと思いました」、そう顔をほころばせた。


パラジウムを触媒に使用して、結合しにくい有機化合物を結びつけ、新しい化合物をつくりだす「根岸カップリング」はいま、製薬開発などさまざまな分野に応用されている。根岸氏の研究へのモチベーションはどこにあるのか。いまの日本をどうご覧になっているのか。来日直前のシカゴで、2時間にわたって話を聞いた。



「いろいろな意味で欲張りなんです」


- 今回のノーベル化学賞受賞に当たり、恩師であるパーデュー大学のハーバート・ブラウン教授(1979年ノーベル化学賞)にご言及なさっていますね。ブラウン教授からはいったい、どのようなことを学ばれたのでしょう。


根岸 研究の手法を学びました。ブラウン教授の手法はしっかりしていて手堅いのですが、そのような人は意外に少ない。われわれはいろいろなことを考えながら毎日実験を行いますが、実験結果にどう対処するか、という問題に日々、直面します。そこでブラウン教授は普通の研究者とかなり違う。教授の場合、失敗は失敗ではないのです。


つまり、たとえ失敗しても、そこから起き上がり小法師のように再び立ち上がる手をたくさんもっている、ということですね。手というのはあればあるほどよいものですが、普通の研究者は一つの方法でやって、うまくいかなければそこで狼狽してしまう。しかし教授の場合、一案、二案、三案とたくさんの手を前もって案出します。しかもそれは創造力というより、ロジカルなラショナリズム(合理主義)です。そこで失敗しても、次に何をすべきか、という準備ができている。この違いが大きい。だから普通は一日の失敗になるところが、ブラウン教授は半日の失敗で済むのです。朝に実験を始め、午後にはいちおう次の目安が立っている。そうなればもちろん、他の研究者とも大きな差が出ます。


- 「最初にキッカケとなる発見をしたときには、『これはすごいものを見つけた』」と他誌でお話になっていられました。しかし、その発見に至るまでは膨大なご苦労があったはずです。もちろん、そこから今回のノーベル賞受賞の契機となった「根岸カップリング」の開発に到達するまでにはさらなる困難があったはずです。その経緯についてぜひ、お話をお伺いできますか。


根岸 私はいろいろな意味で欲張りなんです。どうせ化学をやるのなら、われわれのテリトリーは元素を周期律に従って並べた周期律表しかないわけで、そうであればそこにある元素をもうすべて使ってやろう、と考えたんですね。そうしなければ、たとえAで行ってよい結果が出ても、もう少しBのほうがやかったのではないか、という心配がつねに出てくるからです。


しかし、有機化合物の新規の合成方法を研究する「有機合成」は、医学などに応用する場合は別ですが、放射性をもったものは使えません。それを引いただけでも110ぐらいから90ぐらいにまで元素は減少します。化学的に安定していて他の元素と化学結合せず、単体で存在している不活性元素も除きます。それから毒性がある元素が10個近くあります。たとえば水俣病を引き起こす水銀。イタイイタイ病を引き起こすカドミウムもそう。さらにはベリリウム、鉛・・・。そのようなものを引いていくと、残ったものは、70ぐらいしかない。その70すべての可能性を考えたほうがよい、と考えました。


そういう意味では私のパラジウムを使ったカップリングは、セカンド・ジェネレーション(第二世代)といってよいでしょう。ファースト・ジェネレーション(第一世代)は京都大学の玉尾皓平先生で、ニッケルを使ったカップリングです。グリニャール試薬を使ったカップリングもそうですね。


ところがじつは、ニッケルは元素が小さすぎてあまりよくない部分がある。グリニャール試薬を使うことは自然の流れで理解はできますが、おそらくニッケルとグリニャール試薬にとどまったという点で、玉尾先生はノーベル賞を逃されたのではないでしょうか。私はずっと玉尾先生のノーベル賞受賞を推薦していたのですが。


- そこから先を根岸さんが切り拓かれた、というわけですね。


根岸 ニッケルとグリニャール試薬を否定して、それを乗り越えたのは私が最初ではないか、と思います。しかし、ニッケルからパラジウムに移ったこと自体は、周期律表で見ればニッケルの下にパラジウムがあるわけですから、それほど驚くような発想ではなかった。時系列でいえば、自分も含めて2、3人の方が同時にパラジウムをやっていました。大阪大学の村橋俊一先生の場合、ニッケルをパラジウムに変えるまでは研究を進められましたね。


- パラジウムでうまくいったときは、「やった!」という気持ちだったのですか。


根岸 もちろんそうです。当時は玉尾先生の影響で、みながグリニャール試薬をやっていましたが、私もどうしても、うまくいきませんでした。


- そこからパラジウムをクロスカップリング反応に応用した「根岸カップリング」を開発され、亜鉛化合物やアルミニウム化合物を使った反応などにバリエーションを広げられるわけです。


根岸 当時、私はボロン(ホウ素)屋で、なんとかボロンをうまく使えないか、と考えていました。それはブラウン教授の発想でもあったのです。しかし、なかなかボロンはうまくいかなかた。ボロンというのは本質的な活性が低い。温度を25度以下の常温で行っていたからダメだったのです。のちにそれを50~60度に上げるとうまくいきましたが、私がそれを世に出したのは、同じく今回ノーベル化学賞を受賞された鈴木章先生が発表を行われた1年前でした。しかし鈴木先生は、そのことをなかなか引用してくれませんでしたね。(笑)


- 鈴木さんは北海道大学の教授職にあった1979年、ホウ素をクロスカップリング反応に導入し、「鈴木カップリング」を開発されます。同じくブラウン教授の愛弟子ですね。


根岸 かつて私は数百人が集まった学会の席で、鈴木先生に対して「われわれは以前、ホウ素に関してこのような発表をしています。なぜそれを引用してくれないのですか」と聞いたことがあります(笑)。それを聞いたブラウン教授から、「それはうちうちのことであって、みなの前でいうような話ではない」といわれましたが(笑)。そういう意味で、私はブラウン教授よりもアメリカナイズされていたと思いますね。


私が次に考えたのは、ボロンでうまくいかないのであれば、アルミを使ったらどうか、ということでした。ボロンの場合、ヒドロボレーションという反応がありますが、アルミの場合もヒドロアルミネーションという反応が起こります。そこでニッケルを入れるとうまくいった。そのときメタルに関しては、思ったよりもいろいろなものがうまくいくな、と感じました。そこで10~12くらいの元素を網羅的に調べると、引っかかってきたのが亜鉛。それからジルコニウムです。



「有機合成をやめよう」と考えたことは一度もない


- そのような実験を行われているとき、現在のようにご自身の研究がさまざまに応用されることを考えていらっしゃったのですか。


根岸 そういうことを夢に見ながら実験をしていました。有機化学というのは非常に複雑で、英語で言えばesoteric(深遠な、奥義がある)といったところでしょう。しかしそこで研究を留め置くと、まさに奥義を知っている人しか使えないものになる。それを技術者でもできるレベルにまで下げる、つまりはいろいろなものに応用できるようにしよう、と思いながら研究を行ってきたわけです。


だからこそ繰り返しになりますが、元素をすべて考慮しようと考えました。私のカップリングの多くはたとえばパラジウムと亜鉛など、2つの元素を使います。アルミも安いからよく使いますが、でもパラジウムがないとにっちもさっちもいかない。


- 具体的にパラジウムを利用したカップリングはいま、どのようなものに応用されているのでしょうか。


根岸 テレビの画面で使われる液晶などもその一つですが、なにより多いのは薬の開発でしょう。2010年の夏に話をした製薬会社の人も、私のカップリングを使っている、といってくれていました。初期段階で使われることが多いそうです。なぜ初期段階なのですか、と聞いたら、パラジウムは少し毒性があるので、最終段階で使うと微量にその毒性が残る可能性がある、と話されていましたね。いったいどの程度残ったら問題になるのか、と聞いたところ、10ppm(10万分の一)だと。器にちょっと付いただけでも危険な量です。そういう研究の中でよいものができると、いわゆる「ブロックバスター」といわれる薬が生まれるわけです。


- そのような「研究を続ける」根岸さんの究極のモチベーションはいったい、どのようなところにあるのでしょうか。


根岸 無機化学は「混ぜて終わり」であって、デザインがあまりなくてもできるのですが、まさに冒頭のブラウン教授の話のとおり、有機化学はチェスのように先の先を読んで、打つ手を考えていかねばなりません。そこで実験をして成功することほど、楽しいものはない。ブラウン流であの手この手を考えることが好きだから、「研究がしんどい」と思ったことはありますが、「有機合成をやめよう」と考えたことは一度もありません。


やはりモチベーションを失ってしまう人は、失敗が連続してしまうのではないか、と思います。もちろん失敗はつらく苦しいものですが、私にいわせれば、それは思考力がないことの裏返しでもある。そういう人は研究面でも限界が訪れます。


- 限界がある、と感じた人には、どのようなことを伝えられるのですか。


根岸 日本から私のところにくる学生やポスドクで、その人に化学が向いていないことがわかると、「あなたはこの研究に向いていないから、やめて日本に帰ったほうがいい」とはっきりいうようにしています。半年くらい一緒にいれば、その人が向いているかどうか、判断はできるものです。


素質がないというのは、野球にたとえるならホームランを打つ能力のない人が、無理やり打球をスタンドに入れようとしているようなもの。あるいは時速100キロの球しか投げられない人が、プロ球団に入ろうとしているようなものです。


- 野球にたとえると、とてもわかりやすいですね。


根岸 研究とスポーツはかなり共通した要素があると思います。しかし、スポーツは自らに能力があるかどうかがすぐ判断できますが、研究ではなかなかそれに自分では気づけない。だからこそ、「研究で飯を食べようと思ったらダメだ」「研究を続けても苦労するだけだから、教えるほうや管理に回ったほうがよい」と教えてあげるしかない。そういうところの見極めはなるべく早くしたほうがよいですね。


もちろんそういわれた相手はこたえるでしょうが、じつは、そういうことをきちんといえる人は周りをみてもあまり多くはありません。その人のためを思ってこそ、私はそのような発言をするように心がけています。



やはり一番にこそ意味がある


- ノーベル賞受賞のインタビューで、「すべてアメリカで学んだ」と述べられました。アメリカの研究環境とは日本と比べて、どのように優れたものだったのでしょうか。


根岸 学生の質だけでいえば、平均すればアメリカの学生が日本の学生よりも必ずしも優秀とはかぎりません。しかし、超一流の数はアメリカのほうが圧倒的に多い。一桁は違うのではないでしょうか。実際に2010年のノーベル賞をみても、私を含め、そのほとんどがアメリカ絡みです。それは、アメリカという場がサイエンスの中心になっていることを示唆しています。


そしていまわれわれが行っている仕事の中で、ノーベル賞が影響を及ぼしている研究は非常に多い。いまでもわれわれはブラウン教授の仕事をよく使いますし、福井謙一氏(1981年ノーベル化学賞)の「フロンティア軌道理論」の研究を毎日のように考えます。福井氏の仕事がロアルド・ホフマン氏の「ウッドワード・ホフマン則」につながるわけですが、そのようなごく少数の人が将来の方向性を決定している、といっても過言ではないでしょう。


- ホフマン教授は私がコーネル大学で化学を専攻していたとき、福井氏と同時にノーベル賞を受賞されました。授業が非常に面白かった記憶があります。しかしなぜ、アメリカではそのような超一流が次々に誕生するのでしょうか。


根岸 もちろん、アメリカでもお互いに真似をして研究を進めますが、しかしある日突然、天才的な発見が生まれるのです。それがアメリカ、そしてイギリスという国の力といってよい。典型例がDNAの二重螺旋構造の発見で1962年にノーベル賞をとったワトソンとクリックです。実験的には前から蓄積がありましたが、あのセオリーはほんとうにとてつもないですね。クリックはイギリス人ですが、イギリス人も素晴らしい頭脳を持っています。ノーベル賞受賞者の数も、人口比にすればかなり多いはずです。一方で同じく人口比で見れば、日本の受賞者は少なすぎる。


- 日本は国としてのバックアップが足りない、という声もあります。iPS細胞の作製者である京都大学の山中伸弥教授は、「マラソンにたとえるなら、アメリカが化学的に考え抜かれたスペシャル栄養ドリンクを与えてもらって最高級の靴で走っているのに、日本は普通の水、普通の靴で、個人の努力が大事というレベル」と発言されました。そのような状況下で「若者の理系離れ」が叫ばれるわけですが、いかに国家として、この分野に力を注ぐべきだとお考えですか。


根岸 たしかにアメリカで研究費が多く出ることは事実です。しかしもちろん、能力がない人に対しても、やみくもに出るわけではない。しかし日本の場合、たとえ能力があっても研究費を出してくれない、という現状があるわけです。山中氏のケースではかなり国家もバックアップを行ってくれるようになったと思いますが、他の研究でもアメリカ並みを意識すべきでしょう。


- しかし当の日本政治では、事業仕分けにおいて、「一番じゃなきゃダメですか」という言葉が飛び交う始末です。「科学立国」の座を確たるものにするため、つねに研究で先端を走り続けることにはどのような意味があるとお考えですか。


根岸 まず、第一発見者と二番煎じでは雲泥の差がある、ということを知らねばなりません。私に言わせれば、「一番じゃなきゃダメですか」という質問は、サイエンスのことをまったくわかっていない発言といわざるをえませんね。二番煎じはあまり意味がない。誰にでもできるからです。アメリカのノーベル賞の数が物語るように、やはり一番にこそ意味があり、そのような研究があってこそ、世界のサイエンスの中心となれるのです。


- そのような認識を持ったうえで、日本のシステムのどのような部分を改善していくべきでしょう。


根岸 日本人は頭がいいのですが、儒教の悪い面が出ているように思います。上下関係や年功序列の発想がいまだ、研究者に根強く残っている。下積みで入ってしまえば、すぐリーダーになることはできません。だから能力を思う存分、発揮することができない。


私も50歳になったとき、筑波大学から声をかけられました。しかしオファーをみたら、「あなたは国家公務員の経験がないから、同じ年齢グループの中の序列は一番最後です」という内容だったのです。このような発想があるから、日本では研究者が育ちにくい。一方でアメリカの場合、できるとなればすぐにどんどんやらせてくれる。この差は大きいでしょう。


- 日本は才能を潰してしまうシステム、と。


根岸 私はアメリカ人の仲間からも、「あなたは次々に新しい反応を見つけるが、いったいどうやっているのか」とよく聞かれたものです。先にも述べたように、いってみればアメリカ人よりもアメリカナイズされていたことが、成果を出せたことにつながったのでしょう。



かつてのような競争社会に日本を戻せ


- ご自身が住んでいたときと現在の日本を比較されて、何が根本的に変化した、とお感じになりますか。


根岸 日本を離れたのは1966年です。とにかくあのころは、若い人が野心的でしたね。いまの日本人も変わらず能力は高いと思いますが、かつてのようなやる気が感じられない。当時は国全体にやる気が漲っていました。


- 海外に出る人、留学をする人もどんどん減っています。


根岸 信じられないのは、いまでは下手に海外に行くと、日本にいたら得られるだろうポジションに就けない、ということです。その話を聞いたときには驚きました。それでは若者の目が海外に向かなくなるのも当然でしょう。ということは、そもそも会社はほんとうに有能な人を活用しようとしているのか、ということになる。もちろん先ほどいったように、若いうちに海外に留学したからといって、その人に能力があるかどうかはわかりませんが、とにかくもっと才能がある人を年齢に関係なく、積極的に使ったほうがいい。


- いま一度、日本が海外に目を向けるためには、どのような心構えと準備が必要ですか。


根岸 まず日本国内における教育で、コンペティション(競争)が少なくなっていることが問題です。若者というのはそういう競争にポジティブに反応しますが、逆に日本の教育は、若者から競争を奪おうとしているように思えてなりません。サイエンス・オリンピックなどもありますが、やはり教育の中で、もっと競争するという経験を与えたほうがよい。そこで「できる」ことは楽しいものです。


かつてと違っていま、私は入学試験を称賛しています。国内で競争を避けていたら、このグローバルな時代に世界的な競争を行えるはずがない。かつての寺子屋などをみても、日本は学問に対する志向性が高い国です。「ゆとり教育」など絶対にダメでしょう。


- ますます進展するグローバル化のなか、隣国である中国や韓国に比べても、大きく日本は取り残されている印象を覚えます。


根岸 韓国はかなりの競争社会になっていますが、できる人は競争させることで伸びるものです。だからこそ、かつてのような競争社会に日本を戻し、アメリカのように超優秀な人を伸ばす社会構造にする必要がある。


- 日本人の特性を活かし、世界に冠たる国家であり続けるため、いまこれをやるべき、というご提案はありますか。


根岸 これからは英語がますます重要になります。もはや一流の科学者で英語ができない人はいません。もちろん専門のほうがはるかに重要ですが、サイエンスの公用語、共通語は英語ですから、英語ができなければ話にもならない。現状では、日本語が大きなヒンドランス(障害)になっている、といわざるをえないでしょう。


よほど好奇心が強く、科学だけではなく、日本文化、日本語にも強い関心を持つ人でなければ、世界から日本に研究者はやってこないと思います。だから土壌も育たない。理科の授業は英語で行うということも、一つのアイデアかもしれません。

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